同調圧力について

同調圧力について
日本という国は「皆と同じでなければならない!」という同調圧力が強い。学校でも同じだ。僕は高校時代に日本の教育に疑問を持った。「将来、役立たないことをなぜ、授業で教えるのか?」「10年勉強しても英語を話せないのは、教育が間違っているのでは?」そういうと、教師にも同級生にもこう言われた。
「そんなに勉強が嫌なら学校を辞めろ」「お前は勉強をしたくないだけの怠け者だ!」
どちらも答えになっていない。戦時中も同じだ。「この戦争に意味があるのか?」と疑問を持とうものなら「非国民。売国奴!」とバッシングされた。
「お前は戦争に行くのが怖いから、そんな言い訳をしている。臆病者だ!」
これも答えになっていない。この両者の共通点は何か?というと、目的や意味は置き去りにされ、決めたその目標を貫徹することになっている。そしてどちらも国策。意味や目的ではなく「戦争する」個人にプラスか?意味があるか?ではなく「勉強する」「大学へ行く」になっていることだ。そして多くの人がそれに対して疑問を持たず従う。疑問を持つとバッシングされる。その国策の推進力となったのが同調圧力なのだ。
時代が変わっても、日本人は同じ意見を持ち、同じ方向に進まないと同調圧力に攻撃される。皆、同じで関係性を乱してはいけない。空気を読み、「違う」と思っても同調する。そんなところが今も日本人にはある。

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